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えげつない館主と美しきダンサーたち。ピエロとストリッパー。その構図、奇しくも「ジョーカー」を想い出した。誰にも語らない純愛。在りし日の記憶。その辿り着く先は、あまりにピュアな喪失感だ。
「私は踊りが好きで、ただ踊っているだけなのに・・・上手く生きられない」踊り手、踊り子、ダンサー、そう呼ばれている人のほとんどがこのセリフに共感するはず。踊り子たちを支えるストリップ劇場の館主、ストリッパーに恋い焦がれる青年、この作品に登場するのは、踊りに取り憑かれ、心の奥でその思いを煮えたぎらせている人たちばかりだ。でも実は、そういう人たち、もう少なくなっているのかもしれない。作品を観ながら、ふと「生きるってこういうことだよな」という思いが頭の中をよぎった。
時川監督の物語と映像は綺麗なのです。それはとても、起こっている事に誠実で素直だからなんだと思うのです。劇場版『鯉のはなシアター』では広島東洋カープがもたらした挫折と成功(今は少しだけ苦戦していますが)を街の空気の真っ只中に居て切り取った映像を物語に落とし込んでいる。そう。変化の中に身を置いて物語を紡ぐから、観ている観客が『当事者』になれる。そして監督の誠実さや素直さが我々当事者を少しだけ日常を離れつつもホッとさせてくれるのだと思うのです。 そして『彼女は夢の中で踊る』です。この映画はストリップを題材にしていますが、なぜライブが、 なぜ肉体の表現が、なぜ人々を興奮させ奮い起たせてきたモノが棄てられてゆくのかという事への 宣戦布告にも似た祈りなのだと思うのです。 撮られた時は、広島第一劇場という滅びゆく存在を食い止めもようとする木下社長という 偏屈なオヤジが、現代に、背水の陣で闘いを挑んだ物語だった。 しかし、今その物語は、コロナのパンデミックによって分断や偏見や我儘が露呈してゆく"今"への アンチテーゼにもなっている気がしてならないのです。 世界同時に価値観が分かれ変化してゆくこの時に、肉体の、目の前にある身体の表現が、 純度が高いと、勝手に観ているこっちがシンパシーを越えて、憤ったり、興奮したり、 胸を締め付けられたりする作品になってしまった。 『コロナ禍になる前に、この映画は撮られ、公開された。』 映画や演劇や音楽の普遍性をよく表現してる映画だと思います。 だからたくさんの人に観てもらいたい。そして自分の意見を持ってもらいたい。 てな事を考えつつ、僕は昔、何を隠そう、矢沢ようこさんに、何度かお世話になった事があります。男の子ならわかってくれますね。 そんなノスタルジーも呼び起こす、とても『健全な映画』です。
「広島のご当地映画 ?いいえ、まるでハリウッドのインディペンデント映画のような 素敵なファンタジー。ストリップは、猥雑なもの?いえいえ、この映画をみれば、いかに美しいものであるか、男たち、踊り子たちの「夢」であることが実感できます。 加藤雅也さんの枯れかけた演技が光り、なによりもヒロイン、岡村いずみさんの 切ないまでの美しさが圧倒的。彼女が海岸で裸体で踊るとき、私はそこに天女を見ました。是非、女性に観て頂きたいです。」
暗い劇場の中一本のスポットライトが艶めいた肌の踊り子を照らし出す。 幼少期の頃、親戚の叔母がストリッパーで、その叔母に連れられて生活をしていた時がありました。 劇場内に入ってはいけないと言われ、いつも楽屋にいました。 そこには綺麗な装飾品があり、化粧前にはずらっと化粧品が並んでいました。 いつもドレスを着て楽屋を出ていく踊り子達が帰ってくるときはドレスを片手に持って、 ウェットティッシュで体を拭き取る様子が不思議で、楽屋の奥にはどんな世界があるのだろうと思いながら刺激的な日々を過ごしてました。 踊り子達には色んな恋愛模様がありました。 助け合い、お金、喧嘩、出会い別れ。 私は昔ストリッパーの楽屋で色んなことを見ていたのだと、この映画を見て当時の匂いを鮮明に思い出すほど感じました。 この映画には人のシンプルな生き方が詰まっていると思います。 劇場が無くなる寂しさ。私は支配人と同じ思いで見てました。 是非みなさんも人を好きになること、別れる事、忘れる記憶、蘇る記憶をこの映画を見て感じて下さい。
美という芸術、人の温度、そして行く場所があることが人を救うと教えてくれ、 メランコリックに酔いしれました。 そして、見終わった瞬間、キレイにしようと、 鏡で久々に丁寧にメイクをした私です。
ストリップを性的な目で見ることのない女性である私は、劇中のストリップシーンを見ているうちに、切なさがこみ上げてきた。それは彼女たちの人生が『かわいそう』などというチープな同情的気持ちではなく、スクリーンを通じて多くの踊り子たちが抱える女性としての憂いに共感したからだ。
実話に基づくところがすごい。僕たちの社会が何を失いつつあるのか、よくわかる作品。
劇場、踊り子、ネオン、壁一面のキスマーク、時の流れ、錯綜する幻想、「閉館」という言葉‥何とも儚く美しい全てのシーンが切なくて、ツボです。 人は何故、今の自分なんだろう、と考えた。ストリッパーが踊るように、旅するように、道は続いて行くけれど。「宿命」の意味を分かった時には少しは皆、自由になれるのかも知れない。ラストシーンのように。 ずっとこの映画を観ていたかったけど、ストーリーの様に、時は経過する、形あるものの全ては、いつか無くなる。命も終わる。でもその存在を[一生懸命愛した]なら、心の中では永遠に失う事はない。夢や幻影も思いのまま。心に残る映画がまた一つ出来ました。素晴らしく美しい作品を、ありがとうこざいました。
岩井俊二監督
えげつない館主と美しきダンサーたち。
ピエロとストリッパー。
その構図、
奇しくも「ジョーカー」を想い出した。
誰にも語らない純愛。在りし日の記憶。
その辿り着く先は、あまりにピュアな喪失感だ。
草刈民代さん
「私は踊りが好きで、ただ踊っているだけなのに・・・上手く生きられない」
踊り手、踊り子、ダンサー、そう呼ばれている人のほとんどがこのセリフに共感するはず。
踊り子たちを支えるストリップ劇場の館主、ストリッパーに恋い焦がれる青年、この作品に登場するのは、踊りに取り憑かれ、心の奥でその思いを煮えたぎらせている人たちばかりだ。
でも実は、そういう人たち、もう少なくなっているのかもしれない。
作品を観ながら、ふと「生きるってこういうことだよな」という思いが頭の中をよぎった。
八嶋智人さん
時川監督の物語と映像は綺麗なのです。
それはとても、起こっている事に誠実で素直だからなんだと思うのです。
劇場版『鯉のはなシアター』では広島東洋カープがもたらした挫折と成功(今は少しだけ苦戦していますが)
を街の空気の真っ只中に居て切り取った映像を物語に落とし込んでいる。
そう。変化の中に身を置いて物語を紡ぐから、観ている観客が『当事者』になれる。
そして監督の誠実さや素直さが我々当事者を少しだけ日常を離れつつもホッとさせてくれるのだと思うのです。
そして『彼女は夢の中で踊る』です。
この映画はストリップを題材にしていますが、なぜライブが、
なぜ肉体の表現が、なぜ人々を興奮させ奮い起たせてきたモノが棄てられてゆくのかという事への
宣戦布告にも似た祈りなのだと思うのです。
撮られた時は、広島第一劇場という滅びゆく存在を食い止めもようとする木下社長という
偏屈なオヤジが、現代に、背水の陣で闘いを挑んだ物語だった。
しかし、今その物語は、コロナのパンデミックによって分断や偏見や我儘が露呈してゆく"今"への
アンチテーゼにもなっている気がしてならないのです。
世界同時に価値観が分かれ変化してゆくこの時に、肉体の、目の前にある身体の表現が、
純度が高いと、勝手に観ているこっちがシンパシーを越えて、憤ったり、興奮したり、
胸を締め付けられたりする作品になってしまった。
『コロナ禍になる前に、この映画は撮られ、公開された。』
映画や演劇や音楽の普遍性をよく表現してる映画だと思います。
だからたくさんの人に観てもらいたい。そして自分の意見を持ってもらいたい。
てな事を考えつつ、僕は昔、何を隠そう、矢沢ようこさんに、何度かお世話になった事があります。男の子ならわかってくれますね。
そんなノスタルジーも呼び起こす、とても『健全な映画』です。
笠井信輔さん(アナウンサー)
「広島のご当地映画 ?いいえ、まるでハリウッドのインディペンデント映画のような 素敵なファンタジー。
ストリップは、猥雑なもの?いえいえ、この映画をみれば、いかに美しいものであるか、男たち、踊り子たちの「夢」であることが実感できます。
加藤雅也さんの枯れかけた演技が光り、なによりもヒロイン、岡村いずみさんの
切ないまでの美しさが圧倒的。彼女が海岸で裸体で踊るとき、
私はそこに天女を見ました。是非、女性に観て頂きたいです。」
はるな愛さん
暗い劇場の中一本のスポットライトが艶めいた肌の踊り子を照らし出す。
幼少期の頃、親戚の叔母がストリッパーで、その叔母に連れられて生活をしていた時がありました。
劇場内に入ってはいけないと言われ、いつも楽屋にいました。
そこには綺麗な装飾品があり、化粧前にはずらっと化粧品が並んでいました。
いつもドレスを着て楽屋を出ていく踊り子達が帰ってくるときはドレスを片手に持って、
ウェットティッシュで体を拭き取る様子が不思議で、楽屋の奥にはどんな世界があるのだろうと思いながら刺激的な日々を過ごしてました。
踊り子達には色んな恋愛模様がありました。
助け合い、お金、喧嘩、出会い別れ。
私は昔ストリッパーの楽屋で色んなことを見ていたのだと、この映画を見て当時の匂いを鮮明に思い出すほど感じました。
この映画には人のシンプルな生き方が詰まっていると思います。
劇場が無くなる寂しさ。私は支配人と同じ思いで見てました。
是非みなさんも人を好きになること、別れる事、忘れる記憶、蘇る記憶をこの映画を見て感じて下さい。
伊藤さとりさん(映画パーソナリティー)
美という芸術、人の温度、そして行く場所があることが人を救うと教えてくれ、
メランコリックに酔いしれました。
そして、見終わった瞬間、キレイにしようと、
鏡で久々に丁寧にメイクをした私です。
森田真帆さん(映画ライター)
ストリップを性的な目で見ることのない女性である私は、
劇中のストリップシーンを見ているうちに、切なさがこみ上げてきた。
それは彼女たちの人生が『かわいそう』などというチープな同情的気持ちではなく、
スクリーンを通じて多くの踊り子たちが抱える女性としての憂いに共感したからだ。
宮台真司さん(映画評論家・社会学者)
実話に基づくところがすごい。
僕たちの社会が何を失いつつあるのか、よくわかる作品。
エミ・エレオノーラさん(ミュージシャン、舞台女優)
劇場、踊り子、ネオン、壁一面のキスマーク、時の流れ、錯綜する幻想、「閉館」という言葉‥
何とも儚く美しい全てのシーンが切なくて、ツボです。
人は何故、今の自分なんだろう、と考えた。ストリッパーが踊るように、旅するように、
道は続いて行くけれど。「宿命」の意味を分かった時には少しは皆、自由になれるのかも知れない。ラストシーンのように。
ずっとこの映画を観ていたかったけど、ストーリーの様に、時は経過する、形あるものの全ては、
いつか無くなる。命も終わる。
でもその存在を[一生懸命愛した]なら、心の中では永遠に失う事はない。
夢や幻影も思いのまま。
心に残る映画がまた一つ出来ました。
素晴らしく美しい作品を、ありがとうこざいました。